2025年8月1日

2026/04/22

■【はじめに】土の匂い

先日、中学校の同窓会に参加してきました。4年に一度同窓会を開催しているのですが、毎回顔を合わせている友達もいれば、卒業以来初めて会う友達も。思い出話や暴露話に花を咲かせてきました。
パソコンもインターネットもスマホもない子供時代。体感していた世界はごくごく狭かったけど、その分濃密で、土の匂いや汗の匂いと共に記憶に染みついているような感覚です。
田舎町で数年間、毎日一緒に過ごしたという事実は、他の何を以てしても作り出せない人間関係を生みだすものなんだなぁと実感しました。大事にしたいです。


■【今月のトピック】プカロンガンのバティック

前段でご紹介した超高級バティック。値段を見てびっくりされた方もいらっしゃるかもしれませんが、私が間違えて0を多く入力してしまったわけではありません(笑)。それくらいクオリティーの高いお品物なのです。
以前このメルマガでご紹介した「Liem Ping Wie」から、先日届いたばかりです!

バティックハウス「Liem Ping Wie(リム・ピン・ウィー)」は、ジャワ島中部でジャワ海に面したプカロンガンという街にあります。熟練の職人が丁寧に制作するバティックはすべて1枚ものです。2022年にバリ島でG20首脳会談が開催されましたが、そのときに「Liem Ping Wie」のバティックが各国首脳にお土産として渡されました。クオリティーはインドネシア政府のお墨付きというわけです。

さて、バティックは、生産される地域によってデザインに特徴があります。今日はその中から、「Liem Ping Wie」が工房を構えるプカロンガン地方の特徴をご紹介しますね。

プカロンガン地方のバティックは、なんといってもパステル調の可愛らしい色合いと、花や蝶や鳥の華やかな絵柄が特徴です。プカロンガンは港に近く、ヨーロッパや中国からの商人の出入りが盛んだったため、バティックも欧州文化や中国文化の影響を受けました。 オランダから持ち込まれた陶器に描かれている花の絵を真似してバティックに描いたり、華僑が経営する工房では鳳凰、麒麟、龍といったモチーフが描かれました。それらのモチーフは今でも受け継がれています。

日本軍がインドネシアを占領していた時代には、日本人好みのバティックがたくさん作られました。松や桜、扇子や富士山など和風の絵柄がバティックに描かれました。日本軍が「大日本奉公会」という組織を作って現地の人々を雇い、日本人向けのバティックを作らせていたこともあります。そのころのデザインは今でもプカロンガンに受け継がれており、「Hokokai」というデザイン名で呼ばれています。

また日本軍の占領下では、「パギソレ」という手法のバティックがさかんに作られました。パギソレとは、1枚のバティックの中央に境い目を作り、2種類の異なるデザインが施されたバティックです。バティックは、腰回りを2周するように巻くので、布の上下を逆にすることで外側のデザインが入れ替わり、2枚持っているように見えるのです。これはなかなかのアイディア。パギソレ手法は、それ以前からプカロンガンには存在していたようですが、戦時下、貧困で苦しかった時代にコスパが重視されて広まったようです。

インドネシア語で、パギは「朝」、ソレは「夕」を意味します。実際に、朝と夕方で巻き方を変える風習があるわけではないのですが、2種類のうち一方は明るい色味、もう一方は比較的落ち着いた色調でデザインされることが多ので、象徴的に「パギソレ」と呼ばれるようになったと言われています。現代では、落ち着いた色調の方は普段用、明るくて華やかな方はイベント用と、使い分けたりするそうですよ。2つのデザインは全くの別物ではなく、モチーフや色合いに共通点のあるデザインになっているので、見比べてみるのも楽しいです。

ということで、「Liem Ping Wie」から届いた2枚のバティックを、ぜひ上記のお話を踏まえて、眺めてみてくださいね。